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令和4年行財政改革・地方創生調査特別委員会 本文 開催日: 2022-09-20
令和4年行財政改革・地方創生調査特別委員会 名簿 開催日: 2022-09-20

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    令和4年行財政改革・地方創生調査特別委員会 本文 開催日: 2022-09-20


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    愛知県議会 会議録の閲覧と検索 検索結果一覧に戻る 検索をやり直す ヘルプ (新しいウィンドウで開きます) 令和4年行財政改革地方創生調査特別委員会 本文 2022-09-20 文書発言の移動 文書 前へ 次へ 発言 前へ 次へ ヒット発言 前へ 次へ 文字サイズ・別画面表示ツール 文字サイズ 大きく 標準 小さく ツール 印刷用ページ(新しいウィンドウで開きます) 別窓表示(新しいウィンドウで開きます) ダウンロード 表ズレ修正 表示形式切り替え 発言単文選択全文表示を切り替え 単文表示 選択表示 全文表示 発言者表示切り替え 全 11 発言 / ヒット 0 発言 すべての発言ヒット発言表示切り替え すべての発言 ヒット発言 選択表示を実行・チェックの一括変更 選択表示 すべて選択 すべて解除 発言者一覧 選択 1 :  【高田参考人選択 2 :  【中野治美委員選択 3 :  【高田参考人選択 4 :  【中野治美委員選択 5 :  【高田参考人選択 6 :  【島倉 誠委員選択 7 :  【高田参考人選択 8 :  【島倉 誠委員選択 9 :  【高田参考人選択 10 :  【竹上裕子委員選択 11 :  【高田参考人】 ↑ 発言者の先頭へ 本文最初ヒットへ (全 0 ヒット) 1: 《参考人意見陳述》 【高田参考人】  私は現在の職に就いてから、2019年に愛知次期行革大綱策定懇談会座長を務めました。ほかの委員や県内の各界から集まった人の中で、私が座長を務めたのは、恐らく一番年を取っていたからか、愛知県のことを他の委員より知らないので、場を回すのにはふさわしいということで座長になったと思います。その後の愛知県における行財政改革の進捗について説明は聞いていますけれども、詳細は承知していない部分もあり、このような状況意見を言うのもいかがなものかということで、元愛知次期行革大綱策定懇談会座長の立場からではなく、本日は話をさせてもらうということで資料を用意しました。  次に、私が在籍しています大学紹介です。  学生の80パーセントは公的セクターから派遣されています。日本人、留学生、両方がおり、日本人の場合は中央省庁から来ている者や、自治体からの派遣修士あるいは博士を取り、また派遣元に戻って仕事をする人が多いです。愛知県庁からも毎年度、私ども大学派遣をしてもらっています。通常、修士課程を取得するのは2年かかりますが、私ども大学は1年間で修士が取れるカリキュラムを組んでいるため、1年後にはまた県庁に戻って仕事を続けている状況です。  行政改革のこれまで、今、これからという題名にしましたが、これまでのところについては、1960年代ぐらいから様々な行財政改革取組が行われてきました。これは事実関係なのであまり詳しく立ち入るということではなく、これまでどのようなことが行われてきたのかを少し振り返ってもらうということで簡単に話をしたいと思います。  続きまして、今というところですが、これは特に地方行財政改革に関連しまして、総務省のホームページに地方行財政改革というところがあるのですが、一体そこには何が掲載されているのかということと、それが現在の行財政改革の置かれた位置をどのように表わして見られるのかということを、個人的な感想になる部分も踏まえ少し話します。そして、ここから先が話の中心になる部分だと思いますが、これからの行財政改革というのはどのようなことを考えていったらいいのかということを、具体的にこれをやりましょう、あれをやりましょうという話ではなく、今後世の中がいろいろ変わっていくので、どのように変わっていくのかということで、今の時点からこういうことがあるだろうと考えられることを少し紹介します。それを踏まえた上で、自治体はどうあればいいのか、都道府県はどうあればいいのか、そのためには行財政在り方をどうしたらいいのかと、それがまさにこれからの行財政改革だろうということになります。  その次の意識すべき問題と書いてあるように、一つは人口の問題です。愛知県は、まだ2020年国勢調査の段階で人口は増えていますが、現在出されている国立社会保障人口問題研究所人口推計において、その次の国勢調査では愛知県も人口が減るだろうという見込みが出ていますので、そのような中で一体どうしていくか、これを背景としてなぜ人口が減るのか、人口が減った社会はどうなるのかということを両面から見る必要があるのではないかということで話をしたいと思います。  それから、昨今の話として、新型コロナウイルス感染症の問題がここ数年非常に世の中に大きく影響していますし、一方で、デジタルの振興、拡大といったことが、大きく世の中在り方自治体在り方も含めて変えていくということがあるわけです。こういう中で、今後の自治体在り方はどうなるのかということを、既に様々な研究会などで分析もされていますので、少し紹介したいと思います。  最後に行財政改革方向性ということで、私の個人的な感想にわたる部分でありますが、3点について言いたいと思っております。  早速ですが、行財政改革のこれまでの部分では、先ほど申したように事実を書いていますので深く立ち入るということではなく、紹介をしたいと思います。戦後、新しい憲法ができ、新しい地方自治制度ができる中で、恐らく1940年代から1950年代までというのは、新しい地方制度をつくることが中心だった時代です。ただ、そういう中でも、50年代のある時期からは、いわゆる組織の見直しといったことが中心となり、行財政改革行政改革ということが行われてきました。  行政管理庁は1948年にできており、総務庁ができたときになくなっていますが、非常に伝統のある役所であったわけです。そのほか、経済審議庁は、前身は戦後の経済復興を役割としていた経済安定本部であり、その後、経済企画庁になります。また、私が勤務していました自治省も、それまでの庁から省に格上げになったのが1960年です。こういったことが行財政改革行政改革中心だったわけです。案内のとおり1956年には経済白書において、もはや戦後ではないということが書かれたという時期を迎えていたわけです。  そうした背景の中で最初の本格的な行財政改革は、1961年に第一次臨時行政調査会ができました。内閣機能総合調整機能を強化するといったことを含めて、かなり幅広い意見を提示しました。これは1940年代、1950年代に様々な制度が戦後つくられてきて、一応のものが整備をされましたが、一旦この辺で立ち止まって、もう一度今までの10年、15年かけてつくってきたものが正しいのかを振り返ってみようということだったと思います。その意味では非常に時宜を得た取組だったと思いますが、1960年は高度経済成長のど真ん中です。そういう中で行政改革ということが受け入れられにくかったということもあり、具体的なものはなかなか実施されなかったというのがこの第一次臨時行政調査会でした。  その後1973年にオイルショックが発生して、それまでの景気の動向、経済状況が一転し、国は赤字国債を毎年のように発行するようになったのが1975年からです。  そういった背景の中で、1981年に第二次臨時行政調査会が発足します。これが有名な土光敏夫さんが会長になった土光臨調と言われるものです。土光敏夫さんは、目刺しを朝御飯のおかずに食べているということで、大変質素な生活をしていることから目刺し土光さんなどと言われていましたが、その人を会長にするこの第二次臨時行政調査会というものが発足して、2年間で5次にわたる答申を出しました。  その基調は、今、話したような財政状況経済状況を踏まえて、増税なき財政再建が本当に重要な旗印になったわけです。そこで行政がどこまで仕事をするのかということの見直し中心に様々な答申を出して、それが国鉄、これは現在のJRになっているわけですし、電電公社、現在のNTTになっていますし、専売公社、現在のJTになっているといったように、公社分割民営化が相次いで実施されました。また、総合調整機能という点では、総務庁は1984年に設置されています。こうした改革が、この第二次臨時行政調査会で実を結んだということです。今、話したように、これは背景としては大変厳しい財政状況があったので、まさにその中で行政在り方を見直す、限定をしていくといったことが行われたわけです。  この頃の世界を見ると、サッチャーがイギリスで首相になったのが1979年です。それから、レーガンがアメリカの大統領になったのが1981年です。この2人は小さな政府ということで有名です。サッチャーリズム、レーガノミクスという規制を緩和する、民間に委託をすることを中心にして行っていました。そういう意味で言うと、方向性としては、世界の動きと軌を一にするものがあったとも言えると思います。  この第二次臨時行政調査会の議論、その後の答申を受けての実施を引っ張ったのは、中曽根康弘行政管理庁長官、そして内閣総理大臣で、いわゆる中曽根行革と言われるのがこの時代です。  今の第二次臨時行政調査会を受けて、1983年には、土光敏夫さんを会長として第一次臨時行政改革推進審議会ができます。この目的は、第二次臨時行政調査会答申の実施を監視することにありました。つまり、新しいことをやっていくというよりは、第二次臨時行政調査会で言われたことが本当に実施できているのかを確認することを目的として新しい組織ができました。ここでは、内閣の総合行政機能に加えて、地方行政改革というのが、この第一次臨時行政改革推進審議会では一つの柱になります。  1986年に基本方向が出されて、内閣官房の組織を再編して総合調整機能を強化されたのと併せて、地方行革大綱というものを策定してくださいという通知が1985年に出ています。これが、地方に向けられた行財政改革の実施要請という意味では非常に大きなものでした。
     そこでは、事務事業の見直し等の今でも通じるような話があります。つまり、1985年頃から地方における行革というのは、大体同じことを頭に置き、同じことを柱としながら、様々な取組を進めています。既に40年近く経過しています。  その後、1987年には第二次臨時行政改革推進審議会ができ、1989年に国と地方の関係に関する答申で、補助金の整理、合理化などが言われるようになりました。  ただ、ここの第二次臨時行政改革推進審議会は、1987年にできて、1989年に国と地方答申を出し、1990年に最終答申が出されました。バブルの絶頂期である1989年の年末に日経平均株価は過去最高の約3万9,000円を記録しました。そうすると、それまでの増税なく財政再建という土光敏夫臨時行政調査会から続いてきた流れが若干変更されます。最終答申も内需主導型経済への転換だということで、公共投資を拡大する方向が出てきたということです。  続いて、1990年になると第三次臨時行政改革推進審議会ができ、これもそれまでに出されてきた答申などの実施を監視することが中心でした。  ここでの主要項目としては、一つは地方分権が入っています。これは地方分権特例制度、既に忘れ去られてしまっている制度ですが、パイロット自治体という仕組みです。つまり自治体を指定して、その自治体に対しては特例的に権限を移譲することを実施しようという取組が行われました。  ただ、残念ながら実態としては、このパイロット自治体は、各省庁の反対も大きくて権限移譲というところまでは行かず、許認可の手続を簡素化するといった運用レベルにとどまりました。今、話したように、全国一律ではなく、むしろ指定に関して手を挙げて、認められた団体に対しては特例的な扱いをするという国、地方関係がここで生まれたわけです。  さらに、1995年には地方分権推進法が制定され、それに先立つこと2年、1993年には衆議院、参議院両院で地方分権推進の決議も行われており、これが第三次臨時行政改革推進審議会を受けた地方分権に向けての動きです。  あわせて、この第三次臨時行政改革推進審議会と、1994年にできた行政改革委員会で重要なのは、行政手続法制ができてきたということです。  例えば、この第三次臨時行政改革推進審議会の最終答申を受けて行政手続法が1993年にできています。それから、行政改革委員会の意見を受けて情報公開法が1999年にできています。このような行政の手続に関係する制度が、1990年代に相次いで整備されたというのが特徴です。行政改革も手続的なもの、国、行政、政府、国民との関係に視点を当てる改革が実施されるようになってきました。  なお、国の情報公開法は1999年ですが、情報公開は地方が非常に先行しており、自治体最初に情報公開条例をつくったのは山形県金山町で1982年に策定しています。その後、県レベルでも1983年には幾つかの県で策定されています。情報公開に関しては、地方が先鞭をつけたと言えると思いますが、国においても、ようやく行政手続関連の法制を整備する中で、1990年代に整備されたということです。  その次は地方分権です。これは、地方分権推進法に基づいて1995年に地方分権推進委員会が設置され、5次にわたる勧告を出しました。その結果、その勧告等を受けて地方分権一括法が2000年に施行され、機関委任事務が廃止されるとともに、国地方係争処理委員会が整備されたわけです。  この地方分権推進委員会は、もともと5年間の予定で2000年には店じまいをする予定でしたが、1年延長して2001年に最終の勧告を出しており、その最終の勧告が地方分権改革のさらなる飛躍を展望してということです。今回の改革はあくまでも第一歩ということで、そこで上げられたものの一つが地方財政秩序に係る三位一体の改革で、その後に一定の実現に結びつきました。  それから、いわゆる義務づけや枠づけと言われるものを緩和すること、事務権限の移譲をさらに進めることも最終勧告で言われています。2006年にできた地方分権改革推進法に基づいて、その後に進められている地方分権改革の中で、2011年以来12回にわたって法律ができています。本年度も法律がつくられていますが、その一括法の中でこの義務づけ、枠づけの緩和や事務移譲は引き続き進められています。そういう意味で、この地方分権推進委員会の最終勧告は、その後実を結んでいます。ただ、住民自治の拡充、あるいは憲法に言われている地方自治の本旨の具体化については、まだ議論としては必ずしも十分に深められていないと思っています。  その後1996年ですが、行政改革会議ができました。これは橋本龍太郎氏、当時の内閣総理大臣自身が会長になったもので、それまでの臨時行政調査会、臨時行政改革推進審議会とは様子が違っていますが、ここがいわゆる橋本行革と言われるものです。  その最たる目的は中央省庁の再編です。そのほかの様々な行政改革と整合性を持って進めなければいけないということで、この会議の委員には、行政改革委員会の飯田委員長、地方分権推進委員会の諸井委員長もメンバーとして参加した会議でした。1997年に出されたこの会議の最終報告を受けて、最終的には2001年に中央省庁再編が行われ、1府22省庁あったものが1府12省になりました。さらに独立行政法人が2001年に設立されたことも含めて、内閣機能の強化、中央省庁在り方見直しが行われました。そういう意味では非常に大きな改革です。  さらに2000年代に入りますが、行政改革大綱が2000年に閣議決定をされ、2004年と2005年に相次いで政府の方針が決定されます。これは小泉純一郎氏が内閣総理大臣になったのが2001年なので、いわゆる小泉行革の一連の動きです。  小泉行革というのは、聖域なき構造改革をキャッチフレーズにしており、官から民へと、中央から地方への二つを大きな柱にして進めました。有名な郵政民営化も官から民への動きの一つでありますが、それ以外に指定管理者制度愛知県でも進めていると思いますが、この仕組みができたのは2003年であり、この改革中です。また、中央から地方へということで言うと、三位一体改革による財政面における地方分権は、この聖域なき構造改革の中で行われましたが、その流れの上に2006年に行政改革推進法ができました。簡素で効率的な政府を実現するということで、五本柱を立てています。  この中で特に自治体に大きく影響したのは公務員の純減で、これは総人件費改革の一環として、国家公務員の定員を5パーセント以上、地方公務員を4.6パーセント以上純減するということが法律に書き込まれました。こうした流れを受けて、地方での行政改革についても指針が出され、2005年の新地方行革指針を受け、5年間で集中的に地方行革を進める集中改革プランをつくりました。  さらに2006年にはさらなる推進ということで追加の指針も出ましたが、最終的に地方公務員数として、各自治体がつくった目標は6.4パーセントの公務員数減、実績としては7.5パーセントでした。これだけではなく、例えば地方公会計の導入、その他様々な観点が全て地方行革指針には入っていますが、これが2005年、2006年辺りから行われました。  関連で、三位一体改革と官から民への動きの一環である市場化テストと言われる官民競争による入札制度を進めるといった公共サービス改革も進められました。  もちろん2006年の集中改革プランや新地方行革で行政改革が終わったわけではありません。その後も民主党政権の下でも行政刷新会議が置かれ、行政改革取組を進めましたし、第2次安倍政権の中でも行政改革推進会議は置かれており、それは現在に続いています。  さて、これまで見たように、本当に途切れなく行政改革取組は何らかの形で政府により進めてきた状況が、2005年、2006年までありました。次はそれが現在、どのような位置づけにあるのかという話に入ります。  地方行革の部分だけを取り上げているため、やや偏った視点ということはあるかもしれませんが、総務省のホームページで地方公共団体の行政改革等というページを見ると、大きく取り上げられているのは、ここに書いてある三つです。  一つは地方行革全般として、地方行政サービス改革の推進という2015年に出された通知を踏まえ、どのような取組が行われていますかという調査結果が載っています。この地方行政サービス改革推進の趣旨としてはBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)やICTの活用などで業務を標準化、効率化し、民間委託などを進めると人的資源が捻出をされるであろうと、そして公務員が自ら対応することで、民間には委託できない自ら対応すべきような分野に人的資源を集中していくことが趣旨です。そういう中で、行政サービスのオープン化やアウトソーシング、民間委託などの指定管理者といったものがこれに当たると思いますが、さらには情報システムのクラウド化や公共施設の総合管理及び地方公会計といった財政マネジメントが柱立てになっています。その推進状況について、各自治体が毎年総務省に報告をし、その結果が比較可能な形で見える化されています。  それから、あと二つは指定管理者制度の導入状況地方独立行政法人の設立状況です。これは毎年度調査した結果が載っていますが、2006年までの流れに比べると、地方行財政改革に関する情報量が少し落ち着いてきている印象を受けます。  これまでかなりの期間、力を入れて改革取組を行ってきており、それをそのまま継続していくことで、今後どのようなことをやっていこうかというところが見えにくくなっている現状があるのではないかと感じます。  そして、ここからが行財政改革のこれからということです。これからの行財政改革の方向を考えるときには、自治体は今後どのようなものであることが望ましいのか、どのような社会になるからそのような自治体が求められるのかということを長期的に見ていかなければ、行財政改革の今という状況を踏まえると、この先を見通していくことに難しさがあるのではないかという印象を受けます。  今後の社会を目指したものでは、例えば総務省研究会で、いわゆる2040研究会などと言われるものがあったり、その結果を受けて第32次の地方制度調査会の答申が出されたりもしています。  本年になってからですが、総務省研究会であるデジタル時代の地方自治の在り方に関する研究会において、新型コロナウイルス感染症対策とかデジタル関連の法案の立案に際して、地方自治や地方分権が施策の円滑・効果的な実施の支障になっているという問題意識が提起されています。つまり、これまで地方自治はよいことであり、地方分権は進めるべきであると取り組んできましたが、新型コロナウイルス感染症対策、デジタル化の中で本当に地方自治、地方分権が100パーセント正しいのだろうかという指摘がされるようになってきました。こうした状況を踏まえて研究会が立ち上げられ、報告書がこの3月に出されました。  また、本年の1月には第33次地方制度調査会がスタートして、今の研究会の問題意識と通じるものがありますが、国と地方公共団体の関係、あるいは地方公共団体相互の関係等について、調査、審議を求める諮問がされています。この第33次地方制度調査会で様々な議論が行われているのが現在の状況、これからの地方自治、あるいはその自治体に焦点を当てた社会のありようについての議論をしている状況です。  続いて、人口の将来推計です。国立社会保障人口問題研究所が、国勢調査が終わり、その結果が出るとそれに基づいて将来の推計人口を出しています。2020年に国勢調査がありましたが、それと併せて行われるべき調査が新型コロナウイルス感染症の関係で実施できず、1年遅れになった経緯があって、本来だと本年中に将来の人口推計が出るはずでしたが、現時点で推計がでるのは約1年遅れだろうと言われています。そのため、ここに上がっている日本の将来推計人口は、2015年の国勢調査を基にした結果です。少し古いもので恐縮ですが、日本の人口のピークは既に国勢調査ベースですと2010年、いわゆる推計人口という国勢調査の間を埋めるものを見ると2008年であり、既に14年程日本の人口は減り続けています。  大きく注目をされるのは合計特殊出生率であり、2005年に1.26という過去最低を記録したあと、政府の頑張りもあってその後10年間で約0.2ポイント戻して1.45まで回復しました。2015年以降、再び合計特殊出生率は下がっています。一番新しいのは昨年の数字が少し前に確定値として公表になりましたが1.30となっており、この合計特殊出生率が2015年をピークとして下がってきていることがうかがえます。これは恐らく政府の読み違いの部分があります。政府は地方創生の取組を進めていくに当たって、この2005年から2015年までの上昇基調が今後も続くことを前提にして様々な目標を立てていましたが、2015年にその流れが変わっています。  その次は、出生と死亡の推移です。ここで見てもらいたいのは、2000年頃に来るだろうと言われていた第三次ベビーブームが来なかったということです。第一次ベビーブームは1947年から1949年、そして第一次ベビーブーム世代の子供たちが1970年代の初めぐらいに誕生しています。本来だと、その世代の子供たちが2000年頃にまた一つの山をつくると予測されていたのですが、国立社会保障人口問題研究所の分析によると、晩婚化と晩産化に伴う出産の年齢が高くなるということが想定以上に進んだことが、この第三次ベビーブームが起きなかった大きな原因ではないかとしています。この辺りが将来の人口のつくりに大変大きく影響しています。  ではなぜ人口が減っているのか、出生、結婚、恋愛に関しての統計を示します。  2005年の合計特殊出生率が最も低かったときですが、OECDの調査結果の見立てとしては、日本は様々な政策を講じれば合計特殊出生率が2.0まで回復できると言われていました。  ほかの国との違いとして、当時の日本にはパートタイム雇用の拡大がありません。ほかの国はパートタイム雇用が一定の割合を占めているのですが、日本の場合は、むしろ非正規職員を正規化していく流れがありましたので、パートタイム雇用を拡大する話にはなりませんでしたが、ほかのOECD諸国の場合はパートタイム雇用の拡大というところで、恐らく家庭としての所得を上げることが、さらに出生量を増やすことにつながる理解だと思います。他国ではこの点がかなり重要な要素として見られるということが、この比較で興味深い点です。  それから、夫婦に生まれてくる子供の数はどう変化したのかという国立社会保障人口問題研究所の調査結果では、1970年代から2000年ぐらいまで、夫婦の間で最終的に生まれてくる子供の数はあまり減っていませんでした。ただこの間も合計特殊出生率は下がり続けていますので、つまり結婚というのが一つ重要な鍵になっていたということです。  こうした状況が30年ほど続いていた中で、有効な手だてが打ち切れていない結果だと思いますが、2000年以降は夫婦間の子供の数が減り続けています。  出産時の年齢や平均初婚年齢が右肩上がりという傾向にありますが、ここ数年で第一子の平均出産年齢、夫妻両方の平均初婚年齢は一定上げ止まっている状況です。つまり、これまでの結婚とか出産というものに変化が出てきていると思われます。今後実際に生まれてくる子供の数にどう影響してくるかは、もう少し長期的に見る必要がありますが、これまでの流れとここ数年の間では、明らかに違う傾向が見えています。  ただ、結婚するつもりはないと言っている若者が急激に増えている状況も一方で見て取れます。平均初婚年齢は結婚した人の年齢ですので、結婚をしない人は入っていません。そのため、一生結婚するつもりはない若者が大きく増えていることは、トータルとして今後の子供の数を調査することにおいてはマイナスに働くと思われます。  次に結婚よりもう一段階前ですが、恋愛、交際についてです。国立社会保障人口問題研究所は交際相手がいない人がどうなっているかということを調査しており、これも最近になって増えています。2010年から調査の仕方が変わっているので、どこまで連続的に見ていいのかというのはありますが、少なくとも昨年の結果を見ると、男性で70パーセント、女性で65パーセント近くは交際相手がいないとなっています。もう一つ注目すべきは、その中で交際を望んでいない割合が非常に高く、交際していない人の半分ぐらいは交際もしたいと思わないと答えている若者が多いことが見て取れます。この辺りは生き様の問題であるので、それに対してどう評価をするかということはありますが、状況としてはこのようになっています。  次は平成26年に行われた別の調査ですが、恋人が欲しいかどうかと聞いたとき、欲しくないと回答した人が4割程度いましたが、理由を聞くと仕事、勉強、趣味など、ほかに力を入れたいものがあるとの回答が一定数あった一方で、恋愛が面倒だという答えが非常に多くありました。この若者の考え方は、個人的にもなかなか理解ができないのですが、このような社会になってきています。  この辺になると、行政自治体が介入する世界ではないのですが、この調査結果も頭に置いて今後の自治体のありよう、行財政のありようを考えなければいけないと思います。  その次からは人口がなぜ減っているかということで、国内における人口移動の関係というのがあります。少し古い内閣府の会議資料になりますが、愛知県を含めた3大都市圏、特に東京圏といった超低出生率のところに、特に若い人たちが集まっています。これは日本全体で見た場合には人口を引き下げることに大きく寄与していると言わざるを得ません。  人口移動の状況で、高度経済成長期に名古屋圏も含めて大都市圏に人が集まってきてから、1980年代のバブル経済の時期に第2人口移動期が訪れました。このとき、転入超過数がゼロ以上なのは東京圏だけです。さらに、2000年以降に第3人口移動期が訪れ、現在まで継続している状況であり、ここ20年程東京圏を中心とした人口集中が進んでいます。  これを年齢別に見ると、高校、大学、短大を卒業して進学や就職をする、あるいは25歳から29歳は転職を考える若者が転入の大半を占めています。  合計特殊出生率を都道府県別に見ると、東京圏では東京都の1.08という合計特殊出生率をはじめとして際立って合計特殊出生率が低い結果になっています。愛知県は1.41で全国よりも高い状況です。もう一つ見て取れるのは、2020年、昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で転出をする年齢層が目立ってきておりますが、それ以前の状況で見ると、若い頃に一旦東京圏に入った人は、東京圏で長く過ごしていくことになるということです。  そうすると将来何が起こるのかというと、東京圏、大都市圏に名古屋圏も入っていますが、大都市圏は急激に高齢化することが将来見込まれるということです。これが大都市圏の将来の大きな課題です。例えば東京圏における75歳以上の後期高齢者ですが、2015年を100とすると2045年には160を超え、6割以上増えることになります。そのような人たちに、医療、介護サービスをどのように提供していくのかを今のうちから考える必要があります。東京圏だけではなく愛知県、岐阜県などを含めた名古屋圏においても、後期高齢者が40パーセント以上増えることが見込まれています。  ここからは、人口が減ることは仕方がないということであれば、減った人口にふさわしい社会を考えていく必要があるという話です。人口が減り、高齢化が進むとどんなことが起こるのかというと、例えば都市の空洞化が挙げられます。特に3大都市圏以外の地域ですが、最近のまちづくりの一つの重要な軸であるコンパクトシティ化と反対のことが起こっています。コンパクトシティ化というのは、居住、雇用、あるいは行政だけではない各種サービスの提供をある一定のエリアで集中的に行うまちをつくっていこうということです。これは住む人にとっても、そのサービスを提供する行政にとっても非常に望ましい一つの方向性ですが、実際の様子を見るとそうではなくて、薄くて広いまち、人口密度が低くて面積の広い、人が住んでいるエリアが広いまちが広がっているというのが現状です。これが、都市のスポンジ化という呼び方をする場合もありますが、そのようなまちができてきています。  次は、各種サービスが提供されるためには、どのぐらいの人口規模が要るかという調査です。つまりマーケットの規模がどのぐらいあれば、サービスが成り立つのかをまとめました。人口が減っていくことで、サービス産業の立地が困難になり、生活に必要なサービスを受けることができなくなることが懸念されます。つまり、地域の人口規模が縮小すると、もっと広いエリアをマーケットにしないと提供できないので、サービスを提供しているスポットまでの距離が遠くなり、必要なサービスを受けられなくなるということです。  次に人口構造の変化です。2025年問題というのを聞いたことがあると思いますが、2025年までに人口構造がどう変化するかというと、高齢者、特に後期高齢者が急増します。第一次ベビーブームに生まれた人口の厚い層が2025年までに後期高齢者になり、医療、介護のサービス需要が非常に大きくなります。2025年までは、その需要にどうやって対応していくかが非常に大きな課題になります。  しかしながら、2025年を越えると人口構造が大幅に変わり、生産年齢人口が急減するという変化が起きます。そうすると、社会経済を回す人たちをどうやって確保するのかという問題がより顕著になります。これが2025年を境により顕著になることです。  それから社会保障給付費の話ですが、高齢化が進むと医療、年金、介護の支出は大きくなります。問題はこれをどうやって負担するかということであり、保険料負担、公費負担の二つが大きな柱になるわけですが、現在見込まれている2040年までの社会保障費推計では、例えば保険料が現在の72兆円から100兆円以上、公費負担が50兆円から80兆円程度の財源をどうやって確保するかが大きな課題になってきます。  さらにそういう中で、介護人材の問題があります。もともと介護は人材不足と言われていますが、介護保険事業計画で見ていくと、2040年に60万人以上の介護人材が不足すると言われています。これは都道府県によってかなり差がありまして、例えば高知県のように100パーセントを超えており、充足しているところもありますが、全国平均が77パーセント、愛知県は75パーセントであることから、4人必要なところを3人しか確保できない状況が現在は見込まれています。このように介護人材をどうやって確保していかなければならないのかも考える必要があります。  続いて教育の関係です。小中学校の子供の数は1980年ぐらいから小学生も中学生も急激に減っていました。ただ、学校の数はあまり減らしてきませんでした。1クラスの子供の数を減らすとか、1学年の学級数を少なくすることで吸収してきたわけですが、それでは吸収できないというのが2000年を過ぎてから起こってきました。2008年から2015年は一番ピークでしたが、1年間に高校まで含めると500校以上廃校になっていた時期があります。学校は特に初等、中等教育の場合には学校が少なくなると、安全に子供をどうやって通わせるかという問題が出てきますし、学校の規模が小さくなると、果たして少ない数の中で子供が教育、学習することで学習効果にどう影響するのかも考えていかなければなりません。  それから高等教育について、主に大学進学率です。これは都道府県の間で大変格差が大きいです。特に懸念されているのは、地方の中小の大学ほど経営が厳しいことです。特に18歳人口が減っていきますので、経営の厳しさはより顕著になるわけですが、そういう中でも地方の小規模な大学が減っていくと、地方の18歳の子供たちが大学教育を受ける機会がより難しくなる心配があります。そうすると格差がさらに広がるのではないかということが考えられます。  ここからは、新型コロナウイルス感染症とデジタル社会について話します。2020年6月、新型コロナウイルス感染症の感染が拡大して間もない頃にNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)という国の機関が出したレポートで、一体新型コロナウイルス感染症で現在何が起こっていて、この先どんなふうになるのかを当時に予測したものです。内容は省略しますが、具体的には自治体における知事の権限の拡大、強化を要求することが書かれています。  新型コロナウイルス感染症の下では各都道府県の知事がテレビに出る機会が非常に増えました。そのような制度になっているからですが、こういったことから国と地方の関係には変化が生じるのではないかということがこの当時言われていました。  それに関連して、この3月に出された総務省研究会の報告書の抜粋ですが、地方自治、地方分権が施策の円滑・効果的な実施の支障となっているという指摘が、国、地方の関係者のみならず、報道や学術研究においても見受けられました。説明は省略しますが、国と地方の関係が協調と連携を欠いているとか、特に地方行政の施策に実現力がないことなどが指摘されました。  そういう中で、どうするかというのが新型コロナウイルス感染症の関係、デジタル変革への対応ということで、特に国、地方関係など地方行政在り方という意味で言いますと、新型コロナウイルス感染症ですと、国、都道府県、市区町村の権限、組織等の関係とか、住民に身近な保健所設置市、特別区と都道府県の分担と都道府県による広域的、一元的な対応、つまり保健所行政在り方が指摘をされました。  デジタルで言うと、国の役割の増大と地方自治体の自由度に与える影響度合いに応じた多様な手法ということで、つまりデジタルの観点はもっと国で統一化したほうがいいのではないかという話があり、地方がそれぞれバラバラにやっていて果たしていいのかという議論です。地方がこれまでまさに地方自治として行ってきたこととの関連をどう整理するのかということを考えなければいけません。  デジタル化が進むと、現在人間がやっている雇用のうちの多くのものがAIとかロボットに取って代わられるというレポートが幾つかありますのでお手元の資料で紹介します。  そこで、第33次の地方制度調査会において、新型コロナウイルス感染症とかデジタルの進捗の中で、今話した、あるいは研究会の報告書などで指摘されたことを踏まえて、国と地方公共団体の関係、地方公共団体相互の関係、特に保健所などになるわけですが、こうしたものをどう考えるのかということが、議論をされています。  最後に、今後の方向性で三つの視点から話をしたいと思います。  一つは、政策形成のありようで、行政需要の量と質が変化したら、それに対して正しい戦略を考えなければいけないのは当たり前のことです。行政需要の量と質がどういうことで変化してきたかということはお手元の資料に記載していますし、国民の意識の変化は、内閣府の世論調査ですが、個人は国や社会のことにもっと目を向けるべきなのか、あるいはその個人の生活の充実を考えるべきだというような非常にシンプルな問いに対しても、経緯を見ると大きく答えが変化に生じています。こういったものを踏まえていくことが、行政側にとって必要なわけです。  そこで自治体がどのような戦略を取るべきなのかを、行政需要が増える場合、減る場合、それに対して自治体側が拡充を考えるべきか縮減すべきか、場合によっては撤退を考えるべきかという図を東京都立大学の先生が以前に整理したのですが、これは今でも妥当するということで参考にしています。  それから、二つ目の柱がサービス提供の在り方です。先ほども行財政改革の今のところで、地方行政サービス提供の在り方が一番の注目点になっていることを言いました。さらに民を使うやり方で、一つの方法としてシェアリングエコノミーを使っていくことが挙げられると思います。  これは、一番端的に言いますと、現在は外国人の観光客が少ないのですが、Airbnbという個人の家の空いている部屋を宿泊に貸し出す仕組みとか、最近では、個人ではありませんが、カーシェアリングがかなり一般的になっています。さらに言うと、海外に行くと車もウーバー、グラブなど個人が運転している車をタクシー代わりに使う仕組みがあります。日本は規制が厳しいのでそこまではできていませんが、そういったサービスが、民と民の関係でありますがかなり普及しています。こういうものを公のサービスの中に取り込んでいくこともあり得るだろうということです。  具体的にどんなことをやっているのかということで、まだ例が必ずしも多いわけではないですが、政府、内閣官房でまとめた資料を見ると、2020年度に公表された事例としては135件のうち、市町村がやはり多く都道府県の事例は11ぐらいですが、その中でも行政側が利用できるような、いわゆるシェアリングエコノミーも増えてきており、これが一つの、また今後のサービス提供の改善の方向性ではないかということです。  そして、最後に人材確保、人材育成です。これは総務省がポスト・コロナ期の地方公務員の在り方についての研究会を実施し、その中で報告書に使われたアンケート結果を載せております。ここでは地方公務員全般において求められる能力というのが、今時点でどういうものが必要か、それは過去と比較してどう変化してきているかという辺りを聞きました。その結果、都道府県と市区町村とで少し違いがありますが、主体的に判断することや仕事の工夫、住民などとのネットワーク形成能力を備えた職員が増えていかないと今、あるいは今後に向けては、行政のありようは変えられないのではないかということです。管理職の場合には職員のマネジメントというところが多いです。  こういったことから、私はいろいろな場で、職員には他流試合を経験させてほしいと言っています。つまり同じ自治体の中でずっと仕事、生活、付き合いをするということでは、現在求められる能力に挙げられていることは育っていかないだろうということです。そうすると、自治体の外へ、行政の外へ出るという機会を職員個人が意識して積極的に当たっていく必要もありますが、組織としてそれをサポートする、あるいは上司、部下の関係であれば上司としてきちんとバックアップする、場合によっては背中を押すということができる形にしていかなければ、職員の人材育成という観点からは、自治体を変えていくことができないと考えています。民間の場合には、接し方に一定の節度はありますが、例えばプライベートセクターの人、あるいはNPOなどといった行政とは違う、様々な行動原理で動いている人、あるいは思考原理で考えている人といかにネットワークをつくるかというようなことができないと、これから変わっていく自治体の環境に対応していくことが非常に難しくなるのではないかと思っています。  第32次地方制度調査会の中では民間と地方公務員の交流ということまで言っています。職員が公務に就きながら公務以外の経験を得る機会を増やすことは、私が言う他流試合だと思いますし、さらには公務と公務以外の1人複役という兼業は今でもできるのですが、かなりハードルが高く、基準がよく分からないことがあって、実際には手を挙げにくいという現状です。幾つかの自治体では、この基準をクリアにして、職員がそういった兼業を心置きなくできるようなことを始めているところもあります。組織としてはこうした環境を整えていくということが大事なのではないかということです。  以上、前半はともかく後半はずばり行革ではない話になってしまいましたが、私が特にこれからの行財政改革について考えていることについては以上のようなことです。 2: (主な質疑) 【中野治美委員】  年を重ね、自分の役割について考えるが、社会が大きく変化していく中で、若い世代に自分が走ってきた人生の歴史の一部や経験を伝えるということに関してどのように考えればよいか。 3: 【高田参考人】  現在、社会における様々な変化が以前よりも速く進行している。その中で、これからの社会を支えていく世代の人たちに、これまでの経験などをどうやって伝えていくかというのは、大変大事な部分だと思っている。  ただ、物事に対する考え方が世代によって大きく変わってきているので、若い世代の人々が受け入れやすい切り口で伝え、受け手側に合わせていくことが大事だと思う。 4: 【中野治美委員】  スマートフォンを中心としたICT技術の進展に伴って、年を重ねてきた者が時代の変化についていけず、役割がなくなってきているように感じる。勉強しようにも、特にICT分野のハードルは非常に高い。人生100年時代と言われる中で、これからも社会に貢献していくためにはどうすればよいのか。 5: 【高田参考人】  時代がどんどん変わっているのは確かであり、異なる世代で意識を共有することについては、どうしても世代間のギャップが生じる。時代の変化でも、技術的な部分でいうとスマートフォン、SNSなどはICT技術が進めば進むほど、より使いやすいものが出てくるため、技術的に追いつくことは可能だと思う。  やはり一番大事なのは好奇心の持ちようだと思う。好奇心を持って何事にも取り組むことでギャップを少しずつ解消していくことは可能だと考える。 6: 【島倉 誠委員】  グローバル化、デジタル化が急速に進み、社会のありようが大きく変化している。そうした中で、様々な行政課題も時代とともに移り変わっていくが、その根本に人口減少、少子高齢化の問題がある。  生産年齢人口は15歳から64歳であるが、15歳から生産に関わっている人は社会にほとんどいないのが現状である。  そのため、基軸となる人口の年齢構成において、生産年齢人口の捉え方が過去から変化しないまま議論をしても違う結論になるのではないかという懸念があるが、どのように考えているのか。 7: 【高田参考人】  0歳から14歳、15歳から64歳、65歳以降と、年齢は3区分に分かれており、国の統計は基本的にこの区分でつくられている。  ただ、生産年齢人口と呼ばれる社会において何らかの生産活動に参画をして付加価値を生み出すことが期待される世代という軸で、年齢区分をつくるということであれば、その下限が15歳でよいのかという問題と、上限についても個人差はあるが64歳でよいのかという議論はある。  公務員の定年が65歳になり、民間企業では70歳となりつつある現状で、従来どおりの年齢区分で分けることについて、見直しの議論があってしかるべきと思う。しかし、一旦変えると統計の連続性という話がついて回るため、難しい側面もある。  ただ、EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング:証拠に基づく政策立案)と言われるように、様々な客観的データを基にして、物事を考えていくことが求められている中で、今のような年齢の区切りでよいのかということは、私も感じている。 8: 【島倉 誠委員】  65歳から70歳における年齢層の約半数が何らかの就労をしているという報告もある。また、若者の6割が大学に進学している状況であり、統計の連続性を否定するわけではないが、逆にこれにこだわっていても、行政改革は進んで行かないのではないかと考える。私たちが一生懸命検討し、考えることが全く社会のニーズに合っていないことで、若い世代に切り捨てられるのではないかという気がする。この点について、どう考えているのか。 9: 【高田参考人】  政府のまとめている統計における年齢の区分であるが、世の中に合った形で、必要があれば見直しをしていくことが、将来の在り方を考える上でふさわしく、統計データについても様々な客観的データに基づくことが大事な部分だと思う。高齢者の年齢を何歳からにするかというのは、以前から話があり、その議論の結果として必要があれば、将来的に見直されると思う。 10: 【竹上裕子委員】  行政のデジタル化によって外部業者へ委託する量は減っていくのか。減っていけば、使われるお金を節約できるのか。
    11: 【高田参考人】  行政の中で専門知識に秀でた職員の必要数を確保することは、大変であると思う。そうすると、一定の新たな委託は行わなければならないと考える。  ただし、デジタル化が進み、従来人が行ってきた作業の一定数を部分的に減らし、それをAIやロボット、あるいはICTを活用するところに代えることは、当然あり得ると思う。したがって、委託量の増減について確定的には言えないが、全体として民間企業を活用する局面が変わってくると思う。  デジタル化の場合には、従来から各自治体が先導的にやってきた結果、自治体がそれぞれ違う業者、ベンダーと組んでいる。ベンダーロッキングなどと言われるが、特定のベンダーのシステムを組むと、そのシステムを使用し続けなければならず、逆に大きなネットワークをつくる上では支障が生じることが指摘されている。  そのため、デジタル化を進めるにあたりシステム等を標準化していく議論がある。一方で、利点だけでなく、様々な課題もあり得ることから、特に地方におけるデジタル化を進めていくには、議論をした上で取り組む必要がある。 発言が指定されていません。 Copyright © Aichi Prefecture, All rights reserved. ↑ 本文の先頭へ...